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中延で50年続く名店 丸田商店~大人気ジャンボシューマイ誕生の物語~

中延で50年続く名店 丸田商店 ~大人気ジャンボシューマイ誕生の物語~


たびたびテレビにも取り上げられる丸田商店のシューマイは、1個が大ぶりでごはんのおかずとしても、お酒のお供としても大満足の逸品です。
定番のポークシューマイのほかに、カニ、ウズラ、ミックス、五目、茶きんと種類が豊富で、さらにチマキもあるので、このお店で買って帰れば豪華な食卓ができあがります。
さらに丸田商店の代名詞となっているのがシューマイ3兄弟。五目、カニ、チーズシューマイの3つを串に刺して、散歩しながら食べられる優れモノです。
丸田商店の店主であり、昭和通り商店会の会長でもある田代敏郎さんに、中延にシューマイ店を開き、人気店になるまでの波乱万丈の人生をうかがってきました。

 

 

目次
・和菓子職人として修行した青春時代
・独立して経営に失敗、借金だらけに
・人生の転機、シューマイ作りに挑戦
・中延との出会い、シューマイ工場のスタート
・「シューマイ3兄弟」誕生
・商店会長として街を盛り上げたい
・来年は米寿「元気なうちはお店を続けたい」


和菓子職人として修行した青春時代

 
(写真はイメージ)

田代さんは1934年(昭和9年)、鹿児島生まれ。中学を卒業して、おじさんが営む和菓子屋を手伝いはじめました。そして19歳のとき、東京にあこがれて上京。若き日の田代さんは音楽が好きで、音楽学校に通いたいと思っていました。だけれども、想いを果たせず音楽学校は断念。東京の和菓子屋で働くようになり、技術を磨いていきました。田代さんが作っていた和菓子は、練切(ねりきり)という繊細な花模様などの細工を施す高級和菓子です。
いくつかのお店で修行をする中で亀屋万年堂の社長に出会い、そこで働くことになりました。和菓子を作る仕事をするものと思っていたら、自由が丘の店で販売をやってくれという社長の指示に最初は戸惑いました。慣れない販売の仕事を一生懸命に取り組んでいたら、なんと1年後には田代さんが支店長としてお店を任されることになりました。


独立して経営に失敗、借金だらけに

 
(写真はイメージ)

支店長としてお店を経営することを学び、10年近く経ったころ田代さんは独立を決意します。タイミングがいいことに、取引先の社長から大森にある3階建てのビルをまるごと貸してくれるという申し出があり、ついに田代さんは自分の店を持つことができました。
1階は亀屋万年堂、2階は喫茶店、3階はレストランとして営業し、開店当初から繁盛して、経営者として順風満帆のスタートを切りました。しかし徐々に客足が遠のき、なんとか建て直そうとがんばったものの3年で倒産、借金だけが残りました。


人生の転機、シューマイ作りに挑戦

 

店が失敗したからといって、このまま何もしないわけにはいきません。このとき田代さんは38歳。生きていくため、借金を返すため、次は何をやるか模索していると、レストランで取引きのあった築地の卸問屋から、なぜかシューマイを作ってほしいと頼まれます。
話を聞くと、その卸問屋はゴルフ場に冷凍食品を卸していて、ゴルフ場のレストランに出すシューマイを探しているという依頼でした。
田代さんはもちろんそれまでシューマイを作った経験はありませんでしたが、経験がないからと言って断ることはしません。いろいろなシューマイを買ってきて独学で作り方の勉強を始め、そして同時に自分のシューマイ工場の場所を探し始めました。


中延との出会い、シューマイ工場のスタート

 

シューマイ工場の候補として、現在の丸田商店の場所が見つかりました。でも、レストランが倒産して借金だらけ。借りるにしても、手元にお金はありません。大家さんに正直に理由を話すと、大家さんは「都合のいいときに払ってくれればいい」という奇跡のような条件で借りることができ、田代さんはシューマイ工場で再スタートを切ることになりました。
最初は、独学で味を作り上げたポークシューマイの1種類のみ。普通のシューマイより大ぶりのジャンボシューマイを作ると、それが評判になってたくさんのゴルフ場に卸すようになりました。
作ったシューマイを朝イチで築地に届け、工場に戻ると夜中までシューマイを作り続ける忙しい生活になりましたが、和菓子職人のころに鍛えられた手先の器用さがシューマイ作りに活かされ、大量の注文をこなしていきました。


「シューマイ3兄弟」誕生

 

シューマイ工場として軌道に乗ったころ、ここのシューマイは美味しいらしいとのうわさになり、近所のひとから店売りもしてほしいという声が聞こえてくるようになりました。こうして街のシューマイ屋さんの丸田商店が誕生したのです。
和菓子職人のころに身につけた創意工夫の技術と精神から、ウズラの卵を入れたり、カニを入れたり、いろいろな味を増やしていくと、ますます美味しいとお客さんから言われるようになり、行列ができる大繁盛店となったのです。
田代さんにとって一番思い入れがある商品は「シューマイ3兄弟」だそうです。田代さんのお嬢さんが小学生のころに「だんご3兄弟」の歌が流行って、お嬢さんから「だんご3兄弟があるなら、シューマイ3兄弟を作ってみたら」と言われたことがキッカケだったそうです。シューマイ3つを単に串に刺すのではなく、そこは田代さんの創意工夫で、3つとも味と見た目を変えて五目、カニ、チーズの「シューマイ3兄弟」となったのです。


商店会長として街を盛り上げたい

 

丸田商店が商店街で評判になると、自分の店だけをやっていればいいというわけにはいきません。まだ若く創意工夫に長けた田代さんには、昭和通り商店会の年配の方々から企画部長を任されることになりました。
商店街にもっとお客さんを呼ぼうと田代さんが企画したのが、今でも続く昭和通り商店街名物の夕市です。夕方のクルマが通行止めになる時間帯に合わせて、月に一度お得なセールを開催すると、中原街道側と二国(国道一号)側からもお客さんが来て、商店街はひとでごった返しました。
その後、田代さんは商店会の会長となり、20年間、商店街を引っ張ってきました。企画部長や会長としてやってこられたのは、亀屋万年堂の支店長やレストラン経営の経験の中で、ひとの使い方と使われ方、そして倒産、借金とたいへんな苦労をしたことが活きていると田代さんは語ります。


来年は米寿「元気なうちはお店を続けたい」

 

 

田代さんは来年88歳、米寿を迎えます。いまでも朝4時に起きて仕込みをし、1個1個手作りでシューマイを作っています。それに加えて、品川区商店街連合会の副会長という要職も担っていて、毎日が大忙しです。今回お話をうかがっていても、はつらつとして年齢をまったく感じさせることがありませんでした。「元気なうちはお店を続けたい」とおっしゃってくれたことを、とてもうれしく思いました。

(2021年6月4日 丸田商店にてインタビュー)


丸田商店
東京都品川区西中延2-18-3
東急池上線荏原中延駅から徒歩3分

Organization

Reporter

  • 近藤 昇久

    近藤 昇久

    ロコっち なかのぶ 編集長

    2006年から中延に在住。 中延二丁目町会役員、品川区青少年対策地区委員、荏原消防団員、荏原消防少年団指導者などを務め、中延を中心とした地域活動に携わっています。 中延が大好きで住み続けているものの、まわりを戸越銀座や武蔵小山といった有名商店街に取り囲まれて、中延が埋没しちゃわないか勝手に心配しています。 特にひとから「中延」を「なかのべ」と読み間違えられると、ちょっと悲しい気持ちになります。 中延をメジャーにすべく中延在住の仲間とともに中延活性化委員会を立ち上げ、地域イベントの企画運営も行っています。

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