【楽人 No.1】 3丁目カフェオーナー大野承さん・前編~地域活動は「なりゆきで」

たまプラーザの街を舞台に、人を巻き込んで楽しんでいる人にインタビューをするたまプラ新聞とロコっちの共同企画「楽人」。記念すべき1回目は、今や地域活動の顔ともいえる、たまプラのコミュニティカフェ「3丁目カフェ」のオーナー大野承さんにお話を伺いました。前半は、大野さんが3丁目カフェをオープンする前の地域との関りについてお伺いしました。

大野さんはたまプラーザ近辺のご出身なのですか?

生まれも育ちも東京です。1947年に文京区で生まれそこで約10年、その後目黒区で約10年を過ごしました。目黒区の家は、雅叙園の庭の前、杉野ドレスメーカー学院の女子寮の前、という最高の環境(!)だったのですが、隣に大きなマンションが立ったのを機に、美しが丘3丁目に家族で引っ越してきました。その時建てた築47年の家に今も住んでいます。

下世話な話ですが、相当地価が上がっているでしょうね!

当初の買い上げ価格から、バブル崩壊の直前には1万倍の価格で売り出されていました(笑)


大野さんが引っ越してきたころの美しが丘3丁目(昭和43年、ひろたりあん通信提供)

その後、ずっと地域活動に関わっているのですか?

とんでもない!当時は会社員だったので、美しが丘に来て3、4年後に結婚して社宅に転居しました。転勤族で、新宿区、奈良、京都、相模原、宇都宮と全国転々としていました。1995年、48歳の時に戻ってきましたが、その後10年間は川崎勤務だったので、地域とつながりは全くありませんでしたね。2005年に58歳で退職してからは、温泉に行ったり、自転車に乗ったり、枝豆で豆腐を作ったり、囲碁や俳句をやったり、と趣味に生きていました。

では、なぜ地域に関わるようになったのですか?

2006年になりゆきで美しが丘中部自治会の自治会長になったのがきっかけです。自治会長は当番制なのですが、自治会長は男性がやるものという風潮があるので、会長を決める会議の時は各世帯、女性の出席者を出してくるのですよ!50人中2人しか男性がいなくて、女性陣の声に押され、仕方なく自治会長になりました。そこで初めて地域のつながりができました。


自治会の仕事はひたすら裏方作業。地域に恩返しする気持ちでやっていた

でも、当番制ですよね。任期が終わったらそれまでなのでは?

任期は1年のはずだったのですが、いったん自治会長をやると、他の地域の役を何かと頼まれるようになったのです!なんとなく断れず、どんどん地域活動にどっぷりはまっていきました。一方で、地域に対して課題意識が芽生えたのも確かです。隣の家の娘さんが結婚するときに、庭で一緒に写真を撮りましょう、と誘われたのですが、その時に初めて娘さんの顔を知ったのです。40年前からここに家があるのに!災害があったりした時、これではいけないと思いました。

具体的にはどんな活動をしていたのですか?

自分が担当する美しが丘中部自治会の中で隣組を作り、有事の時に助け合えるよう、隣近所と顔見知りになれる仕組みにしました。その後、「いっとき避難訓練」を行ったのですが全世帯の6割となる約600世帯が参加してくれました。みんな実は同じ課題意識を持っていたのですね。その後、2011年頃、まちなか相談室という地域情報を掲載するHPを立ち上げました。40年前、松本春子さんを中心にジャーナリズムのある「たまプラーザ新聞」という新聞があったのですが、それとは違って、主義主張はなく、単純にイベントや情報を全部集めるのがコンセプトでした。


1日何もない日があるとほっとするほど忙しい大野さん。本当は趣味に生きたかったとか。(写真:長坂 断/たまプラ新聞

そのコンセプトはロコっちに近いですね! それは地域情報の発信不足を実感していたからでしょうか?

地域にはいろいろな活動があるのに、知られていないことを残念に感じていました。しかし、毎日数時間かけて情報を集めていて、とても大変でした。4年ほど続けましたが、2014年に3丁目カフェオープンして、そちらの業務が大変になり、今はやめてしまいました

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