年が明けて新連載の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放映が始まりました。
前編に登場する、源義経・源頼朝・後白河法皇・平清盛などが麻生区と深い関わりがあるので、久々にあさお大好き日記を書きました。
私が麻生区万福寺の鎌倉古道と出会ったのは、約三十年前になるでしょうか?新百合ヶ丘駅ができた翌年から万福寺に住み始めた頃は、アートセンターの後に耕作されなくなった田んぼがあり、ホタルの飛び交う様を数年見る事ができました。
そんな日本の原風景の万福寺地域の開発の話しを耳にして、鎌倉古道と呼ばれる道があるみたいなので歩いてみようと始めたのが白いリボンの会主催の鎌倉古道を歩く会。文化協会の会長さん・郷土史研究家の先生・植物研究家の先生が一緒に歩いてくれて、歴史の事・植生の事を教えてくれました。この事が私の地域活動の一歩だったのかも。
この辺りには陣川とか小沢原古戦場跡・勝坂・尊氏道・隼人塚など鎌倉幕府滅亡時と関係する地名や史跡があったり、鎌倉幕府ができる時に関係するのがあって興味が増して鎌倉古道について調べ始めた時でした。そして万福寺の森の中にひっそりと守られてきた笹子稲荷の事を知って尋ねてみたのです。
墓守りをしていた中島さんの裏山に山道と御堂と従者のお墓がありました。竹林は手入れが行き届いていてふかふかの地面です。病床の中島さんが起きていらしてお話しをしてくれました。鹿ケ谷の陰謀(平家討伐会議)が発覚して、平清盛に幽閉された後白河上皇の息女の笹子姫は麻生の里に逃れて法雲寺に庵をむすび、寺を建立し尼僧になって身を隠したと言われます。
その笹子姫の霊廟がこの笹子稲荷なのです。従者の末裔の方々が高石の地の旧家として現存されていると聞きます。この法雲寺には平安時代の木造阿弥陀如来坐像が川崎市重要歴史記念物として現存しています。これは笹子姫が持って来られた仏像ではないかと私は思ってしまうのです。
開発後、笹子姫の御堂はそのまま残ったのですが、その後数年過ぎて墓守りをしていた中島さんの笹子うどんのお店の脇に移されたのです。
開発前、中島さんの夢枕に立った笹子姫は鏡と櫛が欲しいと言うので、浅草で購入して来てお供えをしたのです。と話してくれた事がありました。笹子うどん店の横の御堂には新しく造られた笹子姫の像を見せていただきました。美しい姫君でした。鏡の前で髪をすき身支度して引っ越されたのかしら。また開発始めの頃すれ違った作業員の人が語りあっていた奥から木を切り始めたんだが、ゾクっと言う恐怖を感じると言うのを聞いて、森の精霊っているんだと思いました
昨年の暮れに法雲寺に行ってみました。今までは尼寺だったので入り口の門の扉は閉められていましたが、現在は住職が男性なので門は開かれています。
境内のお庭の様子も少し変わりました。奥の坂道を登って行くと、笹子姫を供養するお堂が建っていました。
法雲寺から世田谷通りの近くへ出ると万福寺の開発で残された緑地の中に尊氏道と言われた鎌倉古道のスリコバチの道が現存しています。
開発で無くなった鎌倉古道は郵便局の前の道路に並行してありました。多摩丘陵に生息する多様な樹林の森で、私は沢山の樹木や山野草を知る事ができました。
そして開発の二、三年前はホタルの演舞を堪能しました。現在の住宅展示場の前のマンションの柵の中の敷地です。この万福寺で子育てをして、農家の家々に咲く四季折々の花に見せられ、自噴水と言われる湧水を見て、自然を愛おしむ心を持つ事ができ、いつまでもいつまでも麻生区に住んでいたいなぁ~と思ったのです。
今回は鎌倉古道と笹子姫の事だけでしたが、次は鎌倉古道と義経伝説について書きたいと思います。