先日、我が家の愛猫・チャーが15歳で虹の橋を渡りました。
家猫の寿命は12〜18歳といわれていることを考えると平均的な寿命と言えますが、チャーは過去に2度、九死に一生を得たことがあり、今回も私は心のどこかで「大丈夫。また元気に復活する」と、のんきに構えていました。
ですが持病が急に進行し、あっという間に虹の橋を渡って行きました。
今回はその時の体験を綴りたいと思っているのですが、私と同じようにペットを亡くし、まだ心が癒えていないという方は、どうぞ無理をせず、ここで読むのを中断してください。
中には「そう思うんだったら記事にしなくても・・・」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
ですが今回、病院の先生の的確な判断や素晴らしい葬儀会社のおかげで満足のいくお別れができたので、もしもの時を読者の方が迎えてしまった時にお役に立てればと思い、ここに「私がおこなった5つのこと」を綴っておこうと思います。
目次
チャーとの出会い
その前に、チャーの“九死に一生を得た”体験を紹介させてください。
ひとつ目は、生まれて間もないうちに、きょうだい揃ってゴミ捨て場から保護されたことでした。
15年前、仕事仲間だったSさんの友人が、近所のゴミ捨て場に捨てられていた5匹の子猫を保護しました。
当時から猫好きを公言していた私のもとに連絡が入り、自分が子どもの頃に飼っていた猫と同じ柄の茶トラの女の子・チャーと、黒白ハチワレの女の子・クー(現在も健在)を我が家に迎えることに。
2匹とも目も開いてない乳飲み子だったため、3時間ごとに猫用ミルクを飲ませ、排泄を促すためにティッシュでお尻を軽く刺激し、まるで我が子のように付きっきりで育児をしたのを覚えています。
九死に一生を得た2度目の体験
そして2度目の九死に一生を得た体験は、昨年の2月。
実はチャーは7〜8歳の頃からずっと心臓が悪く、定期的に病院で健康診断を行い、毎日欠かさず薬を飲み続けていました。
しかも歳と共に腎臓も悪くなり、ここ何年かは心臓と腎臓の薬を飲むほどに。
そしてついに昨年2月、心臓が原因で後ろ足に血栓ができ、緊急入院してしまいました(人間で言うと脳梗塞や心筋梗塞といったところでしょうか。猫が発症した場合、死亡率が高いそうです)。
退院後も自力でご飯が食べられなかったため、チューブを体内に通し、溶かした薬と、栄養価の高いミルクのような飲み物をシリンジ(注射器)で朝晩あげる生活が続きました。
その甲斐あってか1ヶ月後には自力でご飯も食べられるようになり、それまでと変わらない生活を送るまでに回復。
そんな強運のチャーでしたが、今年の2月に動物病院の先生から「血栓ができてから1年が経ったので、ここからが正念場です」と言われました。
それでも、晴れた日にはベランダで一緒にひなたぼっこをしたり、私がお風呂に入っている間、お風呂の蓋の上でゆっくり過ごしたり、寒い夜は布団で一緒に丸くなったり、普段通りの生活を送っていたチャー。
ですが、その裏では病院の先生の言葉がピタリと当たっていて、4月の定期検診では数値がぐんと悪くなっていました。
その日を悟った私
そして4月下旬から徐々に元気がなくなり、5月に入ると、ついにご飯を食べなくなりました。
コロンとしていた体型も、みるみるほっそりしていき、急遽、病院で検査をしてもらうと、腎臓を計測する数値が測定不能なほど悪くなっていました。
それと同時に心臓もかなり悪くなっていたため、腎臓の治療を優先すべきか、心臓の治療を優先すべきか、病院の先生も頭を悩ませていらっしゃるようでした。
それでもまだ水だけは飲み、おしっこもしていため、その日は点滴をして帰ったのですが、2日後の通院で、水も飲まなくなり、おしっこもしていないことを病院の先生に告げると、「今日は点滴はやめましょう。誤嚥の可能性があるので、これからは薬も飲ませなくてもいいです。ゆっくりお家で過ごさせてあげてください」と言ってくださり、その言葉を聞いた私は、「あぁ、ついにその時がやってくるのだな」と悟ったのでした。
そして、その後は本当にあっという間でした。
2日後、「きっと今夜だ」という予感が不思議と働いた私は一睡もせず、布団に横たわっているチャーに付き添い、その時が来る約30分前に夫と子どもを起こしました。
そして子どもと一緒にチャーの体や頭を撫でながら声を掛け続け、家族が見守る中、チャーは静かに息を引き取りました。
生前、とても穏やかで優しい性格だったチャーは、我が子がまだ小さかった頃、寝かしつけを手伝ってくれたり(子どもと一緒にベッド入り、寝ついた頃を見計ってそっとベッドを抜け出すという技を繰り出していました)、ピアノの練習や宿題をする姿をジッと見守っていたり、子どもたちのお姉さん的存在でした。
そんな優しさを象徴するように、チャーは「その日」を選んだように私には思えました。
というのも、亡くなったのが土曜日の深夜で、次の日の日曜日には家族全員ほぼ何も予定がなかったため、ゆっくりお別れができたのです。
亡くなる前も、亡くなってからも、とにかく良い子だったチャー。
今は「幽霊でもいいいからチャーに会いたい」と思う私ですが、なかなかそうはいかないようで、それも私たちを早く立ち直らせるためのチャーの優しさなのかもしれません。
亡くなってからまだ1ヶ月足らずですが、家族全員が心穏やかな日々を送っていられるのも、チャーがその日を選んでくれたおかげであり、病院の先生が的確な判断をしてくださったおかげであり、満足のいくお葬式をあげることができた葬儀社のおかげだと思っています。
後編では、後悔なくお別れするために「私がおこなった5つのこと〜チャーが好きだったことをする、病院に報告をする、お葬式をあげる、仏壇をつくる、遺骨アクセサリーを作る〜」を詳しくお伝えしたいと思いますので、引き続きお読みいただけると嬉しいです。