今回の哲学ワード

「知性さえそなえていれば、悪魔でも国家を樹立できる」(カント) 

哲学者の名言にふさわしい場所を探す

こんにちは、❝哲学Madame❞月子です。前回のデカルトの言葉とともに歩く「ひとり哲学ウォーク in たまプラ」はいかがでしたか? 季節が本格的な寒さを迎える前に、またひとり、たまプラーザを歩いてみました。


  • ひとり哲学ウォーク in たまプラ

    ひとり哲学ウォーク in たまプラ

    今回の哲学ワード「どんなに疑わしい意見でも、一度それに決めた以上は、きわめて確実な意見であるときに劣らず、一貫して従うこと」(デカルト)哲学ウォークとは はじめまして。❛哲学Madame❜月子です。さ

  • おみくじのように引いた「哲学者の名言」にふさわしい場所を探して歩く「哲学ウォーク」。

    詳細は、前回の記事を参照していただくとして、今回のお題は、18世紀ドイツの哲学者カントの言葉です。
     
    カントといえば、人々に厳しい道徳律を要求したりするなど、堅苦しいイメージがありますが、一方で現実主義者でもありました。彼の思想には人間の限界や本性(ほんしょう)も織り込み済み。その上で考え出されたのが、さきほどの言葉なのです――

    「知性さえそなえていれば、悪魔でも国家を樹立できる」

    カントと❝悪魔のケーキ❞⁈

    以前、テレビ番組でカントのこの言葉が取り上げられた時、「ケーキをみんなで切り分ける」というたとえが使われていたんですね。それ以来、私はこの言葉に触れる度に、「カントの国家=悪魔のケーキ」という図式が頭に浮かんで仕方ありません。一体どういうたとえなんでしょう?

    ・・・ケーキをみんなで切り分ける時、誰もが自分の取り分を一番大きくしたいと願うはず。だからこそ自分がケーキを減らされるリスクを避ける最もよい方法は、等分に切ること。つまり互いに合意の上にルールを設け、それを守ること。そんなことは、悪魔であっても、知恵さえあればわかりそうなものである。それくらい、悪魔にだって法に則った社会=国家を作ることはわけないこと・・・

    と、大体こんな意味。なので今回のウォークでは、ケーキ屋の前で足が止まるだろうという予感はありました。

    たまプラーザ駅南口を背に、とりあえず大通りをまっすぐ南へ。住宅ばかりが続く道を歩いていくと・・・実際、ありました!↓

    アメリカンダイナーの「TROUBADOUR」。実は私、この店の姉妹店「Bubble Over」(市ヶ尾)や「Lucy’s Bakery」(青葉台)のケーキの大ファン。「もしかしてここにも…」と期待しつつ薄暗い店内に入ると、あのお馴染みのケーキ達がショーケースのなかでライトに照らされています。

    さて、ここでウォークを終えることもできます。が、しかし!❝哲学マダム❞と名乗る者が、こんな予定調和に甘んじていてはいけません。さらに先へと進みます。

    「利己心」こそが住みよい社会をつくる

    郵便局をピークに、道は下り坂に変わり、あざみ野や高架道路が見渡せる頃、ようやく予定調和ではないオリジナルの解釈で、カントの言葉と結びつきそうな場所が見つかりました。

    ドライバーは思わず遠くの景色に見とれて、自損事故を起こしてしまったのでしょうか?

    それはともかく、なぜこの看板がカントと関係あるのか、説明いたしましょう。

    たとえば、あなたがこの事故の目撃者だとしましょう。

    あなたは忙しい、
    警察に連絡すれば現場検証に付き合わされるだろう、
    それに被害は人身事故に比べれば大したことない、
    私以外の誰かが通報してくれるかもしれない・・・

    でも、そんな事故でもあなたは通報するかもしれない。

    なぜならあなたの家の塀が、車が、損害を受けた時、何の目撃情報も寄せられないのは嫌だから、見て見ぬふりする社会に住みたくないから・・・

    カントが言っているのはここです。目撃者は何も正義感から通報するのではない(なかにはそういう立派な人もいるでしょうけど)。不正が見過ごされること、逃げ得がまかり通る社会で生きていれば、いつか自分が困ることが出てくるだろうから、少しでも安心して暮らしたいから、ルールを守り、最低限他人とは協力し合い、ややもすればお節介だってするのです。つまり、そう振舞うのは、必ずしも正義感や道徳心からとは限らず、むしろ、

    「利己心」

    から、そうすることの方が多いのです。

    先ほどのケーキの理屈も同じです。ケーキを等分に切り分ける悪魔の心根にあるもの、それも「利己心」です(まぁ悪魔なだけに当たり前ですが)。

    別の言い方をすれば、各人が「利己心」を持つと、それらが互いに打ち消し合って、あたかも最初から「利己心」がなかったかのような状態になる――世の中は複雑で、そんなうまい具合になるかどうかは実際わからないですが、カントの言いたいことはそういうことになります。

    みなさんが、この場所を訪れる頃には、もう看板が撤去されているかもしれません。でもそれは目撃情報が寄せられたとか、事故を起こした本人が自首したとかで、事件が解決したという風に解釈したいですよね。人間が本来持つ「利己心」が互いにルールを守らせ、少しのお節介と協力とで、公正な住みよい社会をつくることができる――そんな希望をまだまだ捨てることのできないカントの言葉です。

    出典:カント「永遠平和のために」

    今回の哲学スポット

    新石川3丁目のとある交差点

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