• 投稿日2019.5.18

ひとり哲学ウォーク in たまプラ

今回の哲学ワード

「どんなに疑わしい意見でも、一度それに決めた以上は、
きわめて確実な意見であるときに劣らず、一貫して従うこと」(デカルト)

哲学ウォークとは

 はじめまして。❛哲学Madame❜月子です。さて、いきなりタイトルに「哲学ウォーク」という言葉が出てきました。聞き慣れない方も多いのではないでしょうか? 

「哲学ウォーク」とは、オランダの哲学者P. ハーテローが考案した、哲学的思考を体感するアクティビティ。参加者は、各自おみくじのように引いた哲学者の言葉が書かれた紙片を携えて、みんなで黙って同じコースを歩き、自分なりの解釈で、その哲学ワードに込められた意味にふさわしい場所を、ひとりひとり探すのです。このように本来はグループで行なう哲学ウォークですが、今回は初の試み。私ひとりで、このたまプラの地を歩いてみました。
 

言葉から意味を読み取る

ということで今回のお題が、17世紀フランスの哲学者デカルトによる上記の言葉です。
 
デカルトといえば、「我思うゆえに我あり」が大変有名ですね。社会科の授業で習ったという方も多いのでは?しかしその他にも数々の格言を残しています。

「どんなに疑わしい意見でも、一度それに決めた以上は、
きわめて確実な意見であるときに劣らず、一貫して従うこと」

私はデカルトのこの言葉から「信頼」(confidence)という意味を読み取りました。

自分への「信頼」、そして人生への「信頼」。

実際に街を歩いて見る

この言葉にふさわしい場所を求めて、駅からあてどなく歩いたところ、見つけたのがこの看板

自治体が設置したのでしょう、レベル別ウォーキング・コースの案内板です。

えっ? これがデカルトとどう関係あるかって?

私たちは、考えに考え抜いて「この方法がいい」と選択したのに、途中で自信を失ったり、異なる意見に触れたりして、しばしば気の迷いが生じやすい生き物なのではないでしょうか?

ウォーキングだって、そう。
「健康にいい」「時間・場所に捉われない」という理由で始めたのに、日課となると、気軽に始めた分、挫折するのはあっという間、なのも容易に想像がつきます。

「忙しいから」
「効率が悪い!バカバカしくなった」

 ・・・とは何事も始めてしばらくすると、自分にささやきかけてくる内なる声。
こうした「誘惑」には、実は案外「面倒くさい」「キツイ」「見られて恥ずかしい」
という本音が隠されていて、それらがもっともらしい「言い訳」となって、ささやきかけてくるのかもしれません。

しかし、もっと厄介なのは、いま実践していることに対して、自分自身が懐疑的になってしまった場合。ウォーキングでいえば、たとえばダイエットを目的に励んでいる人が、もっと画期的なダイエット方法を(その有効性はともかく)耳にしてしまった場合です。

せっかく熟慮のうえ決定したのに、懐疑的になったり、途中放棄を繰り返したりしていては、結局何事にも到達しえないのでは・・・と、新たな不安に苛まれることでしょう。

デカルトの真意は

そこで、冒頭の言葉です。
デカルトが言っているのは、一度決めたことは、それがどんなに疑わしく思えてきても、余程のことがない限り、とにかく最後までやり遂げた方がいい、ということ。なぜか? その疑問には、この後に続く次の言葉が答えてくれています。

「望むところへ正確には行き着かなくても、とにかく最後にはどこかへ行き着くだろうし、そのほうが森の中にいるよりはたぶんましだろうからだ」

デカルトは迷う人を、森の中をさまよう旅人にたとえました。ただぐるぐるさまよっているだけでは、どこにもたどり着くことができません。一方、同じ方向に向かって、とにかくまっすぐ歩いていけば、最後にはどこかへたどり着くだろう。そうすることで、何らかの結果が得られる。それは最初に望んでいたとおりではないかもしれないけど、森のなかで方向を見失い続けるよりは、たぶんましのはず。だから、たいした理由もなしにその方向を変えてはならない、というわけです。

必要なのは「自分を信頼せよ」「人生を信頼せよ」。

一旦「一年間続ける!」って決めたら、それをやり遂げてみる、がデカルト流。
目標のBMIには届かなくても、別の風景が見えてくることだってあるでしょう。

出典:デカルト 『方法序説』谷川多佳子訳 岩波書店

今回の哲学スポット

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