【楽人 No.5】 たまプラ一座まちなかパフォーマンスプロジェクト代表 林月子さん・後編

たまプラーザの街を舞台に、人を巻き込んで楽しんでいる人にインタビューをするたまプラ新聞とロコっちの共同企画「楽人」。

今回は、たまプラーザの街を舞台に、老若男女でダンスや楽器演奏なでまちと人、人と人をつなぐ活動を行っている「たまプラ一座まちなかパフォーマンスプロジェクト」の代表 林月子さんです。林さんは、毎週月曜日に3丁目カフェでサックスの練習とピアノレッスンを行っているということで、その合間にお邪魔しました。

後編では、まちなかパフォーマンスに対する思いや、意外な子供時代について伺いました。

前編を読む

まちなかパフォーマンスの活動を、周囲との関係性や、クリエイティブなこと以外の仕事の多さなどのせいで純粋に楽しめなくなることはないですか?

回を重ねるごとに周囲から期待や意見を頂く機会は増えてきました。それに応えたいという気持ちになりますね。

1回目の時は何が何かわからないまま突っ走っていました。それからいろいろな経験を通じて、様々なことを学んできて、それまでできなかったことも少しずつできるようになってきました。こういうことやるにはこういうことが必要、代表としてこれはやらなければならない、といったこともわかるように。

しかし、中には、「林さんがいろんなことがわかるようになると、活動がつまらなくなる」と危惧する人もいました。でも、自分では旗ふり役だけでなくて、プロデューサーも面白いな、と。交渉や事務などの企画をすすめていく様々な作業や、初めてやってみるからこその大変さの中に、面白さがあると思います。

なので、経験を積みつつも、いつまでもバカみたいな発想ができる人、ピエロみたいな人であり続けたいなと思っています。そしたら、たまプラ一座の活動も面白くあり続けられるだろう、と。


第2回まちなかパフォーマンスは、夏祭りの日に商店街で実施された

第5回まちなかパフォーマンスの「ダダンチダンチ」は、林さんにとっても初めての要素が多いのですよね?

これまでは本番のパフォーマンスの製作過程の中での「育ち合い」でした。しかし、今回はやる場所も不明確な中でのキックオフです。

許可申請や調整を今行なっているのですが、こうしたこともパフォーマンスの1つだな、と。思っています。

公共の場にアートを施す有名なアーティストがいるのですが、「一番のアートは交渉だ。」と言っています。どうしてそこに書く必要があるのか、そこにアート作品がある意味とかを理解してもらわないと作品は実現できないですからね。今回のダダンチダンチはまさにそんな感じかな。

確かに第3回、4回と同じ美しが丘公園でやることもできましたよね。

そうですね。もちろんその選択肢もあったと思いますが、同じ公園でやるのもつまらない。恒例になると、ただのイベントになってしまうし。それに、どうしてこの場所でやるのか、その場所でやる意味も大切にしているから。


美しが丘公園で行われた第3回まちなかパフォーマンス「GUMBO」

世の中はどちらかというと恒例にしたがる方の方が多いと思います。

演目を1回で終わるのはもったいない、という声も多くいただきます。でも、よさこいやソーラン節と違う点はそこなんです。

誰もが同じスタートラインに立つことが大切だと思ってる。どんなものが出来上がるのかわからない中で、みんなで知恵を出し合ったり、協力したり、そういう時にこそ見たことがない景色が見えると思っています。知らないものに挑戦することに、こだわりたいんです。

まちなかパフォーマンスにはお手本がないし、本番まで本当にできるかもわからない。何が成功という基準もないんです。本番うまく行ったかどうかが重要ではなく、いろんなことがたくさんあったけど、みんなと一緒に一つのものを創り上げることができた、そこに喜びがあり感動があるんだと。

観客の人も素晴らしいパフォーマンスだから感動するわけではなくて、そこに至るまでいろいろなことを乗り越えてきただろう、というのが類推できるので、感動するのだと思います。


第4回まちなかパフォーマンス「BAMBOOOM」は竹楽器を使ったパフォーマンス

やはり月子さんは、感性がユニークですよね。

欲しいものが人と違うのだと思います。そして、それを手に入れるための情熱が人より強いかもしれないですね。人が喜んでいる姿を見たり、人と人がつながっていく様子を見るのが大好き。

「大変ではないですか?」とか「お金にならないでしょ?」とよく言われます。確かに、楽ちんではないかもしれない。でも、旅行が趣味の人はそのために頑張ってお金貯めますよね、それって苦痛じゃないと思うんですよ。それと一緒です。

大体、本番までに3回くらい1人の時に泣くことがあります。どうして理解してもらえないのだろう、という悔しさやもどかしさですね。そんな時、自分は本気なんだ、と実感できます。

子供の頃からそういうお子さんだったのですか?

実は全く違って、引っ込み思案の子だったんです。人前でしゃべるのが苦手だったの。転機は小学校のPTA会長をやったことですね。最初は不安でしたが、場数を踏むことでだんだん苦手なことがそうではなくなっていきました。

両親は普通のサラリーマン。最初はお転婆だったと思うのですが、親の言うことを聞いていい子でいましたね。親の理想の娘を演じていました。反抗期もなかったの。心配かけちゃいけない、って癖がついていました。

でも、それは本来の自分とは違うので、子供を産んでから苦しくなってきて。自分の子供を見ながら、私もこういう風にしたかったのかも、と思うようになり、超遅い反抗期がやってきたの(笑)

なので、子供達の反抗期はむしろ嬉しかった。我が子たちの「反抗してもいい」と、それは私を信頼してくれているということだと思うから。

(写真:長坂 断 / たまプラ新聞)

前編を読む

取材風景はたまプラ新聞で