新石川小学校の道を挟んですぐ反対側に、「申田公園」があります。ブランコとベンチと砂場、どこにでもあるような小さな普通の公園だと思います。この公園で僕は、「砂堀り」の楽しさを知り、そしてそれから多くのことを学びました。

砂堀りプロジェクト

たしか小学校低学年くらいのころ、僕はよく申田公園で遊んでいました。幾度となく申田公園に通い、どれだけたくさんの時間を過ごしても飽きることはありません。

大人になった今、改めて申田公園を眺めてみて、よくこんな小さな、「なにもない」公園でいつまでも遊び続けられたものだと思ってしまいます。

友達とサッカーをしたり、鬼ごっこをしたり、アリの巣穴を眺めたり。そんな遊びのラインナップの1つに「砂堀り」がありました。


[入り口を入ってすぐ左手に砂場]


[コンクリートに囲まれた小さな砂場]

申田公園の砂場は大きくない。せいぜい大人が4人くらい入れる程度。サッカーや鬼ごっこに飽きた僕らはこの小さな砂場での砂場遊びへと移っていきます。

「山を作ってその下にトンネルを掘ろう!」みんなで意気揚々と山を盛り、トンネルを掘ったり。それからペットボトルを拾ってきて水を汲み、トンネルに水路を引こうとするも、水が砂に滲みていって断念。

大体このあたりで砂場遊びに飽きた僕らは再びサッカーや鬼ごっこへと戻っていきましたが、僕はある時、もっと深い穴を掘ってみたいと思ってしまいました。

1人で穴を掘るうちにその作業に没頭し、段々と周りが見えない「砂堀り」へと移行していきました。

僕は公園の砂場は無限に下に続いているものだと思っていたのです。どこまでも続く砂の世界を想像し、1人で勝手に興奮し、黙々と狂気的に砂堀りしました。


[中央の広場、よくサッカーをやった場所]


[公園の周りには木に囲まれた小道]

サッカーや鬼ごっこに戻っていた仲間たちも僕が1人で砂堀りをしていることに気付き、その異様な作業に興味を持って砂場に戻ってきました。

「なにやってるの?」

「これどこまで続いてるのかなと思って!」

僕のよくわからない好奇心とワクワク感に誘われ、仲間の1人が「おれも手伝うよ!」と言ってくれました。そして1人、また1人と仲間たちが僕の「砂堀りプロジェクト」に加わっていきました。

穴の深さはどんどん深くなっていき、自分の腕の長さだけでは厳しくなってきます。肩も半ば穴に埋まりながら、もうこれ以上は穴の大きさを広げないと届かないか! と思うころにコンクリートの地面に到達しました。

「下に着いた!」申田公園の砂場は無限ではなかったのです。

僕は、砂場の底に到達した達成感とともに、少し寂しさを感じ、僕の中で「砂堀りプロジェクト」はいったん終了しました。

そこでふと周りを見ると、砂場には「仲間たち」以外の他の子たちも砂場に参戦し、各々が「砂堀りプロジェクト」を進めていました。

僕たちが夢中になって掘る姿と、掘り出された砂によって作られた、申田公園史上かつてない大きな山が、みんなを呼び寄せたのだと思います。

「砂掘り」を終えた僕は、異常な人口密度の砂場を見て、今まで感じたことのない満足感を得ました。

平凡な公園から学んだこと

サッカーや鬼ごっこ、ブランコ、縄跳び、、、確立されたいつもの遊びは何度やっても毎回楽しいものです。しかし、その日僕は、新しい遊びを開発することに成功しました。

いつもと同じ公園、同じ砂場、同じメンバーだけれども、その小さな砂場に違う見方を加え、可能性を見出し、大袈裟ですが、見慣れた申田公園の景色とは別の世界観を創り出すことで、みんなのワクワク感を引き出す体験をしました。

また、その好奇心は「友達」の枠を超えて多くの人の気持ちを動かし、行動を変え得るのだと学びました。

たまには、いつもの遊びを離れて、ちょっと変なこと、極端なことをやってみるのもいいかもしれない。そんなことを、この平凡な公園は僕に教えてくれました。