• 投稿日2022.10.14
  • 更新日2022.10.19

私のジモト たまプラーザ ⑥ 受験のまち

大きなバッグを背中に背負って

夜10時頃、仕事で疲れた僕がたまプラーザ駅を降りると、身体の半分くらいありそうな大きいリュックを背負って、僕と同じような顔した小学生たちが駅へと向かってくるのとすれ違います。「お疲れさん。」心の中でいつも、彼らと今日1日の健闘を称えあうのです。

一人一人の表情は様々です。友達と話しながら軽やかに歩く子、早く家に帰りたくてしょうがないのか全速力で走り抜けていく子、余程疲れたのか無表情で淡々と歩く子。それから塾の前を通ると、お子さんの帰りを待つ保護者の方々、塾のスタッフが目に入ります。

自分も中学受験に向けて塾通いをしていた小学生の一人でした。でも自然に「受験生」になったのではなく、周りの人たちとの関わりの中で段々と自分が「受験生」であることを受け入れていきました。小学生たちを見守る周りの大人たちを見て、当時の自分も大人との関わりの中で受験というイベントを創り上げていっていたことを思い出しました。

自分の選択

僕が通っていたのはローカルチェーンの小さな塾で、今はもうありません。最初は自分が行ってみたいと言い出して、小学4年生の後半くらいから2年強通いました。通いはじめたはいいものの、成績は上がらないし、放課後遊ぶ時間は短くなるし、勉強内容もどんどん難しくなっていきます。最初の頃は塾に行く目的なんて考えてなく、週に数回、機械的に通っていたようなものでした。

ある日のこと、僕は、算数の授業中に問題が分からなさすぎて「こんなの解けるわけない!」とフラストレーションをぶちまけます。あまりにもぶつぶつと文句を言うので、とうとう先生に怒られます。それで落ち込んだ僕に対して、今度は先生が慰めてくれて、問題がわかんないことくらいで騒いだ恥ずかしさや、解けない悔しさをいたずらにぶつけてしまったそのこと自体に、悔し涙をしたことがありました。

また、あるときに、塾に行きたくなくてまたしてもぶつぶつ言う僕に対して母が言いました。「そんなにつらいならいつだって辞めても良いんだよー。そもそも自分で行きたいって言って始めたんだから辞めるのも自由。なんなら弁当も作んなくて良いから助かるくらい。」母はただ単に辞めても良いんだよ、と言いたかっただけみたいですが、好きで塾に通ってるのは自分なんだと気付かされました。

ちょっと問題が解けないごときで泣いて、このまま辞めたくはないと思っていることに気付きました。そしてまた、自分に合わせて母が弁当を作ってくれてる、そのことに気付きました。そもそも塾に通うのにお金がかかってることもついでに思い出しました。

この頃に、「塾に行っている」、「行かせてもらっている」ということを初めて認識したと同時に、「これは自分で選んで始めた道、その体験を何かに結びつけてやりたい」、という思いが芽生え始めました。小学生の僕にとっての受験がようやく始まったのです。おれはそもそも受験をするんだ、そしてお金出してもらって、いろいろ助けてもらって、戦うんだ、そういう戦闘モードにゆっくりと、段々となっていきました。

 最終的には受験というものをするみたいだ。そんなことは塾に通う初日から何となく分かってましたが、小学生の自分がその事実を自らのものとするのには時間を要しました。

みんなにもっと助けてもらっちゃえ

こうして受験の始まりを小学5年生の後半くらいに体験した僕。自分が受験するために塾に行ってることが腑に落ちると、塾に行かせてくれる両親、生徒をしかってくる先生、遅くまで校舎で仕事しているスタッフの人たち、塾があるビルの地下のフィリピンパブのお姉さん、そして教室にいる同級生たちも、みんな、受験するためにやってんだ、助けてくれてるんだと捉えるようになりました。自分が受験を成功させるためなら、みんな助けてくれそうだと思うようになりました。 

小学6年生になると朝早く起きるようになりました。目標ができたからです。それから使えるものは使ってやろうと思うようになりました。勉強が分からないとき、成績を上げるにはどうすればよいか聞きたいとき、塾の先生やスタッフたちに聞きまくりました、夜遅くまで。

父に勉強スケジュールを作ってくれと頼みました。小学校の先生にも受験の愚痴を聞いてもらいました。閉校時間をとっくに過ぎて23時過ぎまで塾の先生を拘束し、迎えに来てくれてる母を待たせ、仕事で疲れている父にExcelでスケジュール表を作ってもらって、全然関係のない小学校の先生に慰めてもらう。

それでも、ありがたいとは思っても、申し訳ないとは思いませんでした。この頃になると自分は真剣に勉強しているという自信がついてきたし、何よりも、周りの人たちは自分の受験を応援するために助けてくれるんだと捉えるようになったからです。自分で望んで塾に入ったことさえ忘れてた小学4年生の頃と比べれば大違いです。

見守る側?

時間が経つと、いつの間にか受験を一人でやり切ったかのような記憶になっていましたが、塾帰りの小学生を見守る大人の人たちを見て、自分がどんなに大人に助けられてきたかが思い出されました。それと同時に小学生って意外とそういう細かいイベントをよく覚えているなとも思いました。いまたまプラで頑張っている小学生と直接かかわる機会は、自分は少ないですが、せめてすれ違う子には心の中でエールを送ろうと思います。頑張れ~~。