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東急百貨店
幼稚園児か小学生か、まだ小さかったとき、「たまプラーザテラス」はなく、駅は電車に乗り降りするだけの場所で、まち一番の商業施設と言えば東急百貨店でした。
母に連れられて、平日の昼間に東急百貨店に行くことが、当時の中では一番の「お出かけ」でした。肝心の、東急の中で何をしたのか、どんなお店に行ったかなんてことはほとんど覚えていませんが、5階がおもちゃ売り場で、なにかを母に買ってもらい(何を買ってもらったかは覚えていない)、濃い青色の分厚いビニールの袋にそれを入れて持って帰ったことだけよく覚えています。
とにかく買ってもらったということがとてもうれしくて、その濃い青の袋が「買ってもらった」の印象として深く刻まれています。大体いつも、そのついでに東急のレストランかどこかでお昼を食べて帰るのが定番のコース。
ほんとに具体的にどこ行ったかなんてほとんど覚えてないですが、今でも東急百貨店の建物を見る度に、小さい頃の「お出かけ」に行くわくわく感がすぐそこに迫ってくるような感覚を覚えるのです。
しかし、大人になった今、例えば母と東急百貨店に行ったとしても、このようなわくわく感を覚えることは当然無いですし、あの頃と同じ種類のわくわく感は今ではどこに行っても味わえないのです。
と言うよりも、あの当時実際に感じていた「わくわく」と、いま当時を振り返って思い起こす「わくわく」は全然違うのでしょう。当時のわくわくが再現されることは二度と無く、ノスタルジーに味付けされた「当時を振り返る今の感情」が着々と積み上がって行くのだと感じます。
3階のTERRACE
東急百貨店には、思い出の場所があります。それは東急の3階にある芝生の広場です。
呉服店が立ち並ぶ3階のフロアから外に通じる扉があり、そこから出るとよくわかんない像と芝生、椅子とテーブルが配置されたテラスにつながっています。ここがいわゆる「たまプラーザTERRACE」なのです(知らないけど)。
5階のおもちゃ売り場でなんか買ってもらう→レストランで食べる→3階のテラスに来る、この流れが定番だった気がします。
この芝生に座って、買ってもらったものを開けて眺めるのです。今から見ればたいしたものを買ってもらったわけではありません。
小学校に入ってから2代目の筆箱、初めてのシャープペンシル、二重跳びがしやすい縄跳びなど、たいしたことないけど、当時の僕にとってはたいしたことあるものばかりでした。
小学生になる前のもっと小さい頃にも来ているはずですが、何を買ってもらったか覚えていません、でも「たいしたもの」であったことは確かです。僕にとってはいつも贅沢を味わう場所でした。
白い柱に囲まれた椅子とテーブルもあります。これらも僕が知っている少なくとも15年くらい前から何も変わりません。
ここに座って母が芝生の方にいる自分を見ているのです。
テラスと自分を見守ってくれる母、そして僕の横で虫みたいに転がっている2歳下の弟、これが僕にとっての「たまプラーザTERRACE」なのです。
新しいものを買ってもらっちゃったわくわくと、見守られている安心に囲まれた、不思議な世界です。当時はかわいかったはずの僕ももう24歳、気づけば社会人2年目、久しぶりにここを訪れると、平日に荒廃した心も、なんだか水洗いされるような気分になります。
ここで、当時から抱いていた15年来の不満が1つだけ。
なんで椅子とテーブルの上には屋根がないのでしょうか。白い柱が通っていて、いかにも屋根がありそうで雨風しのげそうなのに。椅子も相変わらず座り心地が悪い。そんな不満を思い出すのも、また自分がたまプラの住人だと気づかされます。
屋上の遊園地
ほんとはあともう1つ思い出の場所があるんです。
屋上にあった遊園地や遊具のある広場ですね。小さい頃はとりあえず屋上に行きたいと言いました。
でも屋上に行ったからといって乗り物に乗ったりはしないわけです。遊具で本格的に遊んだりはしないわけです。
毎回足を運ぶ度に、別に来てもしょうがないか、と思うわけです。でもやっぱり見に行きたくなっちゃう、そのような場所でした。
いまはもう遊園地はなくなりフットサル場になっていますが、残っていたら今回も確実に見に行っていたでしょうね。そしてまた、別に来てもしょうがないなと思うのでしょう。
そうして昔を思い出せる場所がなくなるのは寂しいことです。それでも今度はフットサル場が、また誰かにとっての思い出の場所となっていくのであれば、それこそしょうがねえなと思うのです。