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塾でトップクラスの女の子
同じ塾にものすごく頭のいい女の子がいた。
壁に張り出される塾内の成績上位者名簿ではいつも一番上、時折ある外部の模擬試験でもめったにお目にかかれないような‘’偏差値‘’を連発していた。そうした天才とでも呼ばれるタイプの子には、「頑張ってる感」がない。なるほど、確かに授業はちゃんと受けているし、宿題も忘れずしっかりやってきている。小学生が何時間も集中して授業を聞く、毎週の宿題を欠かさずこなす、これらのことは簡単ではない。
しかし、逆に言ってしまえば「その程度」だ。授業後に先生に質問したり、誰よりも早く塾に来て自習に打ち込んだりといった並外れた努力をしている様子も、未習分野の問題に自ら取りくんだり、小学5年生のうちから入試の過去問に挑戦したりといった特別な先取り学習をしているわけでもない。彼女もそんなタイプの子だった。僕は涼しい顔して半端ない成績をたたき出すその子が気になって仕方がなかった。
カサゴの敵?
僕は負けず嫌いだった。小学4年生の夏頃、たまプラ、鷺沼あたりの生徒が通うようなローカル塾に入る。早くに入塾していた他の生徒たちは勉強が進んでいるので、僕はみんなよりも成績が悪かった。僕にとっては周りは全員「敵」だった。多くの塾同様、その塾もいくつかの階層にクラスが分かれており、彼女は当然全教科においてトップクラスである。僕は、まるで海底に身をひそめて虎視眈々と獲物を狙うカサゴのように、最下層クラスから、彼女を含めたトップクラスの「敵」をスコープ内に収めていた。
それから数か月、特定の誰に対してでもなく、自分より上のクラスの生徒に対する途方もないライバル心は募る一方、依然として状況に変化はなかった。もどかしい日々を過ごした。ちなみにこのころの僕にとっては、特に「中学受験」などというものはほとんど現実味を帯びていなかった。自分が中学受験塾に通っていることはさすがにわかっていたが、最後には入学試験を受けるんだ、それに向かって勉強しているんだという自覚は皆無だった。そんなことよりも「周りの生徒よりも」できない日々を過ごすのがつらかった。そんな中、とある授業中に僕は癇癪を起こす。
覚醒
たまたまトップクラスと合同で行われた算数の授業中、速さの問題に関する話の途中だっただろうか。先生が例の彼女を指名して、何かを答えさせた。彼女は当然のごとく正解の内容を答えたが、その問題は僕には到底解けるはずがないほど難しい問題に思われたものだった。自分の中のイライラを隠し切れず、僕は唐突に、「こんな問題解ける方がおかしいんだ!できるはずがない!」的なことを言った。細かいことは覚えていないが、半ば彼女に対する当てつけの言葉が含まれていたことは確かだ。
先生はそんな僕に対して怒った。「だったらもう君は何もやらなくていい」的なことを言われたと思う。数分後、先生が再び僕に話しかけ、今度は優しい言葉をかけてくれたと同時に、泣きじゃくった。これほどまでに恥ずかしいと思ったことはなかった。みんなの前で泣いてしまったこと自体恥ずかしくてたまらない。
しかし、それ以上に、僕は何をしているのだろうと思った。自分で勝手にイライラして先生に怒られて、諭されて、それで泣いているのだ。みんなからしたら「何してんだこいつ」という感じだろう。ひとしきり泣き終わると肩の荷がすっと軽くなった。僕は何と闘っていたのだろうか(「私のジモト たまプラーザ ⑥ 受験のまち」でも触れた話ですが違う観点から思い出しました)。
闘いの始まり
僕は、「問題を解けないこと」ではなく、「他の人ができる問題を解けないこと」が悔しかった。しかし僕は「他の人ができる」ということを悔しがってこれ以上ないほどの恥をかいた。あの悔しがり方はなんだか損だと直感した。
彼女にしても僕のことなんて眼中にはなかった。というか僕だけではなく他のみんなのことも眼中にはない様子だった。眼中にはないというのは、誰かが問題を解けたり解けなかったりする事実に興味がないという意味であって、休み時間にも友達を無視するとかそういうことではない。
むしろ勉強以外の他愛ない話をするのが好きな子だったと思う。問題が解ける解けないということは、当然ながら友達との関わり方には何も影響を与えなくてよい。僕は、成績の良し悪しで誰かを格付けするようなわかりやすいことこそしていないものの、潜在的にそのような見方をしていた側面があったのだろう。
だからこそ算数の授業の時も、今度は僕自身の価値を否定されるかのような悔しさに近いものがあった。そんな僕の必死さをよそに淡々としている彼女の様子は、僕が、自分がいかに「ずれている」かを知るきっかけとなった。自分が自分自身の向かいたい方向と「ずれていた」のだった。ここから僕の「ずれ」を矯正していく闘いが始まる。