新連載『たまプラを彩る人々~輝きと情熱のストーリー~』第1回 セントラル産業株式会社 代表取締役 松本 茂 氏

「たまプラを彩る人々~輝きと情熱のストーリー~」では、地域の魅力を作り上げている人々にスポットを当てます。昔は何もなかったと言われる「たまプラーザ」ですが、今では季節ごとに楽しめるイベントや多くのお店が並ぶ活気ある街に変わりました。桜フェスティバルや夏祭り、ペアツリーイルミネーションなどの地域のイベントや、魅力的なお店でたまプラーザを盛り上げ、支えているのはどんな思いを持った人たちなのか。その情熱をお届けします。

「何事も楽しくないと続かない。大切なのは常に楽しみに変える事」

記念すべき連載企画の第1回はセントラル産業株式会社 代表取締役であり、たまプラーザ中央商店街会長でもある松本茂さんにお話しを伺いました。

プロフィール

セントラル産業株式会社 代表取締役
たまプラーザ中央商店街 会長
松本 茂 氏


大学卒業後、一般企業で営業職を経て先代から引き継ぐ形でセントラル産業に入社。
趣味は旅行とゴルフ。
最近行った宮古島やタヒチではシュノーケリングなどを楽しむ。
学生の頃から国内外問わず各国を周るほどの旅行好き。
5年ほど前から家族みんなでゴルフコースにでることも趣味のひとつ。

家族と共に育った町「たまプラーザ」

ロコ:松本さんは生まれも育ちもたまプラーザということですが、どんなお子さんでしたか?

松本さん:東急のある場所に向かってバットで石を打って野球をしていました(笑)いまでは絶対ダメないたずらもしたりして駅員さんに怒られましたね。あざみ野駅もまだないころです。

ロコ:やんちゃだったんですね(笑)ご兄弟はいらっしゃるんですか?

松本さん:2つ上の兄と9つ下の妹がいます。今もジモトの街の活動にかかわっているのは私だけですね。父から会社を継げとは言われたことがありませんが、宅建だけは取っておけと言われたので兄と私は資格を取りました。
自分が子どもの頃のたまプラーザは井戸水でした。今でも美しが丘5丁目には井戸水がありますよね。自宅は五右衛門風呂にかやぶき屋根だったので友達を呼びたくなかったですね。でも父親はこれがいいと。洗濯も洗濯板でした。

先代から始まったセントラル産業の歴史

ロコ:セントラル産業はいつ創業されたのでしょうか?

松本さん:当社は昭和43年11月に父が創業しました。溝の口から長津田が開通した2年後ですね。
不動産業なんで今は賃貸がメインですが当時は売買がほとんどでした。港北ニュータウンの開発が始まったころだったので。
昭和43年というとまだ民間の賃貸マンションもないぐらいです。建っていたのは、県公社ビルとたまプラーザ団地。なので、そのころの不動産業は「売買」なんです。
その頃のお商売というと不動産業以外ではキングビルで喫茶店があったりとかちょこちょこくらいですね。

時代を先取りした回転ずし屋「寿司松」

ロコ:以前はお寿司屋もやられていたんですよね。

松本さん:今、商店街にあるパン屋「プロローグ」がある場所に「エーデルワイス」というケーキ屋があったんです。その建物を買い取ってお寿司屋に変えたんです。当時としては回転ずしはとても珍しかったですね。最初は「将軍寿司」というチェーン店でした。でもその後契約を解除して独立し「寿司松」というお店を始めたんです。なぜ契約を解除したかというと、先代の考えですが結局ネタの仕入れとかお金の管理のところです。

仕入れも父がやっていましたからね。職人に任せると結構なマージンをとられるし、その分自社の取り分がだいぶ少なくなる。近くに北部市場もできたので直接仕入れをした方が良いものが調達できるし。お金の勘定は絶対に自分でやるっていうのがありました。
   

先代がなくなり、不動産業とお寿司屋の2足のわらじを履く生活がはじまる

ロコ:いつから会社を引き継いだんでしょうか?

松本さん:自分は父が平成6年に亡くなる1年半前に会社に入ったんですね。先代の頃は洋服屋もやっていたんですが、私が引き継いだころには洋服屋はなくて寿司屋と不動産業でした。
その前から父は体調が悪いということで検査入院したんですが、本人はもちろん現場に戻ってくるつもりでしたからね。不動産業のほうは1年半前からやっていたのでなんとかなったのですが、父の体調が回復しなかったので引継ぎもほどんどなく、経営やお金の管理のことは何も分からず、最初の半年くらいは本当にバタバタでした。30代前半くらいだったからなんとかなったかな。

ロコ:お話を伺っているだけでも大変なのが伝わりますお寿司屋はいつまで続けられたんですか?

松本さん:寿司松は、ビルの建て替え前なので20年前くらいまでやっていました。お寿司のレーンって高いんですよ。当時でも600万から700万くらいしました。レーンが壊れたらやめようということでしたね。当時は朝から晩までごはんを焚いてお寿司を握っている状態でしたから。職人を2人雇っていたので、そんな生活でも自分のお給料は出ない。そんな状況でしたね。今でいうと完全にブラックですよね。なので本当に忙しい時は裏で自分で握っていたこともありましたよ。今でも握れと言われれば握れます(笑)

ロコ:すごい特技ですね(笑)寿司松のお仕事をされている間、不動産業はどうされていたんですか?

松本さん:その間も同時に不動産業もやっていました。慣れてきたらお寿司屋とかは長いスタッフに任せて、楽することを覚えてきましたね。

会長を務める商店街や、ジモトの行事

ロコ:商店街のイベントなどもいつも忙しそうですが、神明社で年末年始はジモトの牛込神社の行事とかもありますよね。

松本さん:大晦日は15時くらいから甘酒を作ったり、子ども達もいっぱいいるのでおやつを100個か200個袋詰めしたり、鏡割りをやるのでお餅の準備や、神明社の飾りつけなんかをしてます。深夜12時になると年始の挨拶があって、初詣が始まって子ども達におやつを配ったり、お酒や甘酒を出したりなんかがあって、だいだいみんないなくなるのが夜中の2時3時。その後に解散ですね。それで次の日にまた集合といった感じです。本当は元日は行かないといけないんですけど今年は旅行があったので行けませんでした(笑)

ロコ:大変ですよね、深夜3時までお手伝いがあってその後はご旅行に(笑)

今年は会長をやっているので特に忙しいですね。今は激務の真っただ中です。

大事なのは常に楽しむということ

ロコ:忙しいなかでも、楽しいと思うときはどんな時でしょうか?

松本さん:何でも常に楽しもうと思っています。義務だと続かない。楽しくなかったらたぶん続かないです。「楽しみに変える」。特に還暦をすぎたらそう思いますね。
商店街のイベントなんかでみなさんに喜んでもらえるのを見ているのが楽しいですし、携われるのが楽しいです。商店街も結局は住んでいる方々がいるからこそ成り立っています。商店街も各個店も同じですけど、住民のために何かをやってあげているというよりは、一緒に楽しんでいきたいし感謝の気持ちを持っています。

ロコ:それはすばらしいですね。連載第1回にふさわしい内容でもっとお話しをうかがいたいところですがそれはまたの別の機会に。今日は貴重なお話をありがとうございました。

店舗情報

セントラル産業株式会社 
代表取締役 松本 茂
住所:横浜市青葉区美しが丘2-15-7
TEL:045-901-1541/FAX:045-901-5157
公式HP:https://www.central-tp.com/info/central-tp/1