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電話で説得されて役員に
小学校PTA活動のはじまりは、1本の電話だった。
推薦委員さんからの電話だ。
「来年度、本部役員をやってはもらえないか」という内容である。
「本部役員」とは、PTA会長・副会長(2名)・会計(2名)・書記(2名)を指す。役員には会計監査も含まれるため、上記の7名を指すときには頭に「本部」を付ける。役員を一度やれば、通常は我が子の数だけやらねばならぬ委員会活動への参加が免除される。第2子以降もその効き目は続く。
長男が来年度3年生、次男はやっと入園、という状況で、まだ全く学校行事も流れも理解できていない状態。幼稚園で役員をやろうと考えていた。
しかし、セールスマン顔負けのトークで推薦委員さんは説得にあたる。
「仕事をしている方が多くてなかなかやってくれる方が……。」
そう言われてしまうと、もう断る理由なんてない、というか、見つからない。
おまけに、引き受けることで、学校の仕組みが分かってよいではないか。そう思えてきた。
「私で良ければ……。」そう言って、私は「本部役員」を引き受けることにした。
「役職、○○なら何とかできそうです。○○を希望したいです。」と伝えたが、「顔合わせの時に全員で話し合い役職を決めてもらいます。」と告げられた。そう甘くはない。
PTAは意識高い系の集まり
しかし、運よく一発で私の望みは叶えられた。
それどころか、会長候補が3人もいて、「なんて意識高い系の人たちなんだ!」と驚きを禁じ得なかった。
そう、PTA本部役員とは、「意識高い系」の人たちの集まりなのだ。
まず、会長の仕事は式典での挨拶だけではもちろんない。
PTAからのお知らせは代表として名前が必ず載る。広報誌も、主に作った委員名はなく会長の名前で発行される。他の役員のミスでも、詫びるのは会長。何においても責任が発生しているため、すべてに目を通さなくてはならない。
私が一番驚いたのは、会長は区の活動のみならず、区を越えた活動にも参加しており、それぞれにおいて役職も兼任するということである。肩書が同時に3つとは!すべて無償であるのに……。
それを知って会長を引き受けることは、真の「意識高い系」であると感じる。本当にすごい。
次に、副会長は会長となるべく行動を共にし、サポートし、時に代理もする存在である。
会計はあらゆるPTA活動を支えるとても大事な役目だ。
書記は単に名簿やミィーティング関係の書類の作成だけでなく、全体のスケジュール・PTA室の予約の管理もする。今どきのアプリ「タイムツリー」を活用している。
基本役員同士は対等で、全員で情報の共有・意見交換・書類の校正などを行っている。
現「本部役員」は2年目の先輩もいるが、お互い「ちゃん付け」で呼ぶことになっている。最初はかなり困惑したが、そのことが対等な関係性を築くのに役立っているのかもしれない。
いろんな人が役員をやるべき
役員のメンバーは様々なタイプのお母さんたちが集まっている。
現役でバリバリ働く人。パートタイマー。仕事を辞めて専業主婦になった人。仕事をしたことがない専業主婦の人。
PTAは本当に色んな人がいるし、いていいのだと思う。いや、いるべきだと思う。そういう意味では今年度は非常にバランスの良いメンバーで嬉しい。様々な意見があるし、それを受け入れる懐の深さも求められると感じている。
また、PTA役員を引き受けるには、ある程度家庭の環境が整っていることが必要ではないかと思う。パートナーや子どもが、ボランティア活動に対して理解がないと成り立たない。無償で母親が時間と身を削るのだから、それを我慢してもらわないと困る。
日頃つくづく思うのは、「本部役員」は保護者の代表という形は取るが、実質はそうではないということである。先にも書いたが「意識高い系」であること。ある程度の家庭環境であること。オンラインに強い、またはめげずにオンラインを取り入れられること。
よって、「本部役員」の感覚だけで物事を進めると、保護者の現状とかけ離れ、とんでもないことになると考えている。身近なママ友でも、とにかく役員以外からの意見に耳を傾けることが、うまく活動していく要となるだろう。
引き受けたのは己の精進のため
さて、「本部役員」に参加した動機について書こうと思う。
私はかれこれ14年前から5年弱、国語の非常勤ではあるが講師をしていた。私立の中高一貫校で専任を目指してはいたが、出産を機に辞め、一度育児に専念し、己を成長させてから復帰したいと考えていた。それがよりよい教師となるには必要なことであると感じて。第2子出産までは、学童のスタッフと親子つどいの広場のスタッフをパートで経験した。
教職に復帰するならば、絶対に退職前の自分とは違う、ある意味熟したようなあり方でやりたいと思っている。
そのような思いから、己の精進のために「本部役員」というものを引き受けた。教員免許とは関係ない小学校ではあるが、学校というものと関わることで、何かを得ることがきっとできるだろうと思ったのだ。
随分立派な人間のような発言をしてしまったが、実は「校長は本当にいい人なのか、PTAとはどういうものなのか、ということを潜入捜査してみたい」という半ばスパイのようなワクワクした気持ちもある。
また、善意の塊であるこのPTA活動は、自己肯定感も高まることが期待される。生きていく上で自己肯定感はとても大切だ。教師とあらば、なおさらだ。「子どものため」の活動は自分のためでもある。
母は私が小学校の頃にPTA副会長となり、3校の合併でかなり奔走したようだ。その話は耳にタコである。同じ経験をしたいとはまったく思わないが、「生涯の友が得られる」と言っていた。
旧式を変えてよりよいPTAに
今年度は異例の事態でオンライン化が急速に進み、PTAでもビデオ通話での会議やLINEやGoogle(ドライブやフォーム)を駆使してのやりとりを余儀なくされている。
時代の荒波に揉まれながらも、柔軟にひとつひとつ対応していくしかない。目の前の課題をクリアしていくしかない。それは世界共通のことかもしれない。
そのような時に一緒に知恵を絞り、手を取り合ってその波を乗り越える仲間がいることはありがたい。
旧式をどんどん変えていく必要性も見えてきた。PTA室には分厚いファイルが山積みだ。
波に洗われ、今後どのようにPTA活動がスマートに時代の波に乗っていくのか。
生涯の友(なってくれるだろうか)と共に、すべては「子どもたちのために」という一つの目標に向かいやっていくしかない。
よりよいPTAにしていけたらと思う。