目次
田園都市線を眺められる場所
たまプラーザのまちには東急田園都市線を眺めるのにうってつけの場所がいくつかあります。
「大坪跨線道路橋」もそのうちの1つと言えるでしょう。電車が好きな子供たちにとってはもちろん、開けた景色を見ながらほっと一息つきたい人にもおすすめのスポットです。
大坪跨線道路橋は、たまプラーザ駅から徒歩5分ほど、中学受験のSAPIXたまプラーザ校2号館のすぐ近くにあります。田園都市線に乗って鷺沼駅からたまプラーザ駅に向かい、最後のトンネルを抜けた直後にある、線路の上に架かる小さな橋が大坪跨線道路橋です(電車に乗っていると先頭からしか見えないかもしれません)。
お気に入りスポット
僕は小学校にまだ入学する前の小さかったころ、電車が大好きで特にこの橋がお気に入りの場所でした。もちろんそんな4才や5才のころの記憶がはっきりとあるわけではありません。
また、成長してからも、通学や通勤の通り道ではなかったため、なかなか通ることのなかった橋ですが、あの頃から20年近く経った今でも、この場所に深い馴染みを覚え、なつかしさと安心感、少しのワクワク感を得ることのできる場所です。
橋の南側には、橋へと続く少し長めの坂があります。僕にとっては特にこの坂に「見覚え」があり、親近感を感じるところです。
それは、ここに当時の僕が夢中になったスポットがあったからです。
今では草木が生え、駐車場が整備され、線路と駐車場の間にはフェンスが設置されていますが、僕が小さい頃は、唯一この場所だけフェンスがなく、草木も少なかったため、直接近くから電車の全体、車輪までをもじっくりと見ることができました(車輪までちゃんと見られるということが重要だったみたいです)。
電車が大好きだった僕は時間を忘れて電車に手を振っていました。この場所は電車の車掌さんからもよく見えるのか、全力で手を振る僕に、手を振り返してくれました。
大好きな電車の車体全体を間近で直接見られて、車掌さんから手を振ってもらえる、そのような楽しい場所だったのです。
お母さんのお気に入りスポット
僕は当時の様子を母にも聞いてみました。自分のかすかな記憶はこんな感じだということを。そして、確かに大体記憶していた通り、当時の電車好きの僕を満たしてくれる大切な場所だったことが確認できました。
しかし、母によるとそこは僕だけでなく、どうやら当時の母にとっても大切な場所だったということがわかりました。なぜ、母にとって大切な場所だったか。それは、ただ息子が楽しく過ごせる場所、ということだけではありませんでした。
僕は子供がいないので子育てをしたことがありません。ですから世の中のお母さんたちが大変な思いをして子育てしていることを頭ではわかっていても、実感として理解しているわけではありません。
子育てに苦労したのは僕の母親も例外ではなく、僕や弟が生まれてからは、僕たちに付きっきりで、自分の時間もほとんど取れず、なかなか心にゆとりも持てなかったそうです。
そんな中、この橋へと続く道路脇の場所は、母にとってほっと一息つくことができる場所だったそうです。ここにいる間、僕は夢中になって電車を見て、手を振り、時間を忘れて楽しく過ごしていました。
そして母にとっては、その間だけは子供が楽しく遊んでくれているため、大変な日常を忘れ、開けた眺めを見ながら自分にお疲れ様と言ってあげられるような、そんな場所だったのです。
僕が純粋に電車に夢中になっていた時、母は、当時の僕にはもちろん、今の僕にとっても計り知れないような苦労と闘い、そして自ら癒していたのでした。母にとってのちょっとした、しかしとても大切な休憩スポットはこのまちにいくつかあったそうです。
「大坪跨線道路橋」もそのうちの1つでした。
思えば僕の記憶の中では、母がこの橋の場所で「休憩」していたというよりも、むしろ遊ぶ自分を後ろから見守ってくれているようなイメージがあります。
もちろん、母は「休憩」しながらも僕を見ていてくれていたのだと思いますが、とにかく安心感に包まれている記憶しかありません。それも、常にそばで支えてくれるような、時として窮屈で締め付けられるような安心感ではなく、自由に遊ばせてもらいながらも遠くから見守られているような、緩やかな安心感です。
まさかその横で母は束の間の休息をとっていたなんて、当時の僕は母から「苦労」の色を感じたことはあまりありませんでした。それほどまでに僕を安心させ、自由に遊んでも大丈夫と思わせてくれた母親の存在、そしてその偉大さに改めて気付かされました。
逆に言えば母がしっかり休憩していたこと、ほっと一息ついていたことが、僕に安心感を与えたのかもしれません。
もし母が切羽詰まった表情でいたら、何かしたら母に怒られるんじゃないかというような緊張感があったら、僕は安心して電車を観察し、車掌さんに手を振ることはできなかったかもしれません。目の前のことに夢中になれなかったかもしれません。
改めて僕は母に対しての感謝を感じ、この場所は僕にとって一層大切な場所として胸に刻まれることとなりました。