中編は、アセス委員会の活動を中心にご紹介します。
目次
藤井さんが委員長を務める美しが丘アセス委員会とはどんな組織なのですか?
もともと美しが丘2・3丁目は、住んでいる人たちが集まって、建築協定を自分達で作りましょう、という形で始まった地域なんです。そこで、住民代表として新しく建つ建物の審査をしていたのがアセス委員会の前身の建築協定委員会です。基準は建築基準法よりもちょっと厳しくて、奇抜すぎたり、塀が高すぎたりしないかをチェックしていたのね。それがずっと続いていたんですけど、高齢化もあって住民だけでやっていくのがきつくなってきたし、うるさいことを言われることに対する不満も増えてきたので、「地区計画」という法律に変えてもらったんです。
法律の網はかかったんで、それを機に役割が変わりましたね。名前もアセス委員会に変わり、ちゃんと行政が見てくれているか、法律的にはOKだけど近隣に迷惑なことはないか、をチェックしています。たとえば、隣の人の食堂の前に室外機が置かれていたり、雪がどかっと落ちるような構造になっていたりしないか、といったことを。新しい家が建つ時には、説明会をお願いしていて、そのたびに立ち会っています。1年で25軒くらいですね。
楽しそうに街づくりの話をしてくれた藤井さん(右)。たまプラ愛が伝わってくる。
一軒家を立てるだけで説明会が必要なんですか!?それは一般的ではないですよね?
一般的ではないと思います。でも、街のことを知らずに家を建ててしまったり、工事業者の方のいい加減な工事やごみ捨てによってまわりに迷惑をかけたりして、引っ越してきてから近隣とうまくいかないと、一番不幸ですよね。説明会は、昔自分が家を建てた時は周りに迷惑をかけたことを、周りの人に理解してもらう機会にもなっています。
また、この地域の住民は、みんなでずっと環境を守って来たおかげでいい感じになっている、という自負があるのね。それを引き継いでいこうという思いでお願いしています。
そういった活動を続けていると、横浜市などが、家を建てる段階であそこはうるさいよ、というアラームをあげてくれるの。なので、それを理解した上で建てる人がほとんどです。建てるのを決めてから「あー、やだな」という感じになっちゃうとよくないですよね。
規制があるとどうやってそれを潜り抜けるかに精力を傾ける人もいますけどね。ただ、私達の仕事はそれを取り締まるのではなく、住民の皆様のお手伝いをすることだと思っています。街をきれいにする、健やかに住めるためのお手伝いですね。
高度が最も高い富士見階段の上からは、文字通り富士山が見える日も。
今回の100段階段プロジェクトのような環境整備もアセス委員会の活動なんですよね。
そうですね。こうなったらいいのではないかというような提案や要望を自治体に出したりしています。青葉土木事務所の方にはとてもお世話になっていて、今回もまち普請にエントリーすると決めた時に、100段階段の下のタイルを、色を塗るためにきれいな石にしてもらったの。
遊歩道の石畳も、古くなってくると草が石を持ちあげちゃって隙間があくんですよね。そうすると、つまづいたり、ハイヒールがはまっちゃったりするんです。だから、そういったところをちょっとずつ直してくださるのは本当にありがたいんです。
最近は、健康づくり歩行者ネットワークのモデル地域に選ばれたので、整備が進んできました。そのルートが美しが丘標準の遊歩道デザインになっているんです。違うタイルが入ることで、長い感じがしなくなるし、キャリーカートを引いたときに音が変わってリズミカルに聞こえるんですよ。これからこのデザインの遊歩道が増えていきます。
年取るとこの坂道は辛いんですよね。でもやはりみんなこの環境が気に入っていて、駅前に引っ越す人は少ないです。だから、遊歩道や階段も少しでも歩きやすくしていきたいですね。
最新の遊歩道。今後東西にのびる遊歩道がこのデザインに変わっていくそう。
藤井さんはなぜ委員長になったんですか?
もともとは建築協定の審査をしなくてはならなかったので、この地域にお住いの建築の専門職の方が委員長をやっていたんです。しかし、法律に変わって、専門的なことは行政がやってくれるので、私は生活者の立場で「これ困るんじゃない」といった意見を出す役割ですね。委員長になったのは、たまたまやる人がいなかったからです。でも、周りをみんなが固めてくれるし、これから先のことを考えると、プロフェッショナルじゃなくても委員長が務まるといういい見本になってるんじゃないかな、と。藤井さんができたから自分もできる、と思ってくれるはず(笑)
アセス委員会のような地域活動はいつからやっているのですか?
アセス委員会は20年、委員長になって5年ですが、地域活動は結局30年以上やっていますね。27歳の時に、この街に引っ越してきて、自治会に参加したのが一番最初です。それまで街は行政が創るものなんだと思っていたんだけれども、自治会に参加して、街は住んでいる人が創るものだということを知っていったの。創るというのはとても難しいけれども、つなぐくらいはできるのではないかという気持ちで、やっています。
100段階段で何かをやると、小学生と小学生の父兄がそれに気づく。そこが大事なんです。今は、若いお母さんたちも働いているから難しい。定年になってから、子育てが落ち着いてからなど、できるようになったときに実行はしてもらえばいいと思っています。ただ街は住んでいる人が創る、という気持ちは持っていてほしいんですよね。
子供達が幸せな子供時代を過ごせば、またあそこに住みたいな、と思う。実際、最近若い人が生まれ育ったところに住みたいといって帰ってくる人が多いんです。ここは、空き家が出てもすぐに埋まるし、過疎にはならないですね。
(写真:長坂 断 / たまプラ新聞)